校名・校章の由来

1 校名の由来
  校名については,校舎の工事が着々と進むとともに,学校名を広く県民に呼びかけて募集していましたが,昭和52年10月12日に[徳島中央高等学校]に決まりました。校名は「徳島中央」「眉山」などの候補名が挙がっていましたが,臨時教育委員会で「徳島中央」「青藍」の2つにしぼり,最終的に教育委員会関係者と武市知事が話し合い「徳島中央高等学校」と決定されました。

2 校章の由来
  本校の校章は,徳島中央高校の「中」と「央」の字を組み合わせ,吉野川,剣山を表しています。楕円形の輪は、友情の輪であり,固く結ばれた師弟の絆を象徴しています。ブルーの円形の中には3すじの吉野川の流れがあり,大海を前に波立つ姿を示します。「中」の心情は,高くけわしい剣山を現し,働きながら学ぼうとする者の苦悩と,頂上をきわめた時の喜びに通じ,「高」は自分を一歩一歩高める喜びに通じているといわれています。

3 照于一隅
  創立10周年を祈念して,玄関脇に「照于一隅」を刻んだ青石の記念碑が建立されました。この言葉は最澄の「山家学生式」の一節「径寸十枚非是国宝 照于一隅此則国宝」が原点です。この言葉は戦国時代の斉の威王が,隣国の魏国の魏の王の「自分は宝として直径一寸の球を十個持っていて,この玉で24台の車の前後が照らせる」という自慢話を聞き,「私は玉を持っていないが優れた武将を持っている。彼らの一隅を守り(守一隅)敵を寄せつけず,国内の治安もうまくいっている。千里(国全体)の広い範囲を照らしている(照千里)。この人材こそが私の宝だ」と言ったという故事に基づくことを明らかにしました。従って[照于一隅]は「一隅を守るは千里を照らすなり」という意味で,すべての人がそれぞれの分野で全力を尽くして生きていくこと(守一隅)が結局は国全体を照らすこと(照千里)になるという考えを示したものです。